脊髄損傷者へのメッセージ

  35年前には、胸・腰損者に対してもまともな医療的対応ができず、病院でさえ階段だらけで、しかも、病院にもクーラーが無く、郊外ではたくさんの氷を入手するのもも大変な状況でした。

 そのために、体温コントロールや呼吸機能に障害を持つ頚損者の余命は短く、また、外に連れ出される機会も少なく、家族の負担による在宅生活や、本人だけが隔離されて管理された施設収容が主な対処で、社会復帰・社会参加など考えられない『社会に現れない、知られていない』世に隠れた患者であり障害者でした。

 しかし、1980年代に入って、冷暖房機器やリモコンに代表されるマイコンを使った高性能のコントロール機器の普及や、福祉機器の開発、改良が進み、また、バリアフリーが言われるようになりました。そして自動車のオートマチック化の進展やパワステが普及してC7レベルの運転が可能になるなど、一部の頚損者も便利に楽にいろいろな事ができるようになりました。

 特に1981年の国際障害者年では「誰もが普通に暮らせる社会が正常な姿とするノーマライゼーション理念」が認識され、医療やリハビリの考え方も転換して頚損者を対象とできるようになりました。

 そして、私達の社会への働きかけと会員を事例にした関係機関との折衝が実って、制度的な公的支援で頚損者の不自由を補う機器や人的サポートが利用できるようになり、C5、C6レベルの在宅単身生活が可能になりました。

 今では、まだまだ不十分だと感じていますが、C5レベルまでの頚損者の自動車運転、就労、スポーツなど多様な社会参加ができるようになりました。

 そして、私達の活動も、頚損者の医療確保から、生活上の不自由や不安の解消、自立生活の環境整備、生きがいづくり、更に、介助・介護される方の日常的な疲労の蓄積や高齢化への対処を図った取り組みへと広がっています。

 しかし、C4以上の長期生存はまだまだ困難です。特に1990年代に入って人工呼吸器の利用が出来るようになって、C3、C2、C1などのそれまで生存できなかった頚損者が出現し、医療、介護、福祉機器、在宅化、施設などについて、個々人のそれぞれの事情を汲んだ当事者サイドに立った私達の活動がより一層求められています。

 一方、施設での生活を余儀なくされている高位頚損者もおられますが、特に高齢化した場合には胸・腰損者も施設入所の必要が生じますが、施設での生活は誠に悲しい内容であり、その前に、ほとんどすべての施設が、自分では出来ない(出来なくなっている)自己管理の医療的ケアを必要とする頚損者や高齢の胸・腰損者に対応できていません。

 また、矛盾していますが、多くの施設では、入所のため原則的な条件が身辺自立(日常生活ができること)となっているために、入所すること事態が非常に困難です。

 このような状況を改善するには、私達自身が、様々な障害や個性に対応出来る、生活に自由があり、一生安心して暮らせる場を獲得しなければなりません。
そのためには、そのためのより所となる施設を持つ必要も課題になっており、当脊損協会では社会福祉法人化を考えた活動も行っています。

 また、医療制度(診療報酬制度等)の変更により、拠点病院でも、長期入院化する大きなとこずれのある人、胸・腰損でも障害受容の難しい人、抗生物質耐性菌を持つ人、特に看護・介護に手のかかる頚損者など、切実に専門的医療を必要としている人の受け入れが難しくなっています。

 何度も廃止が検討された大阪の専門的な脊損病棟を、その都度、各方面に強く働きかけて阻止して守ってきたのは私達の実績であり、当事者団体としての能力のあらわれです。

 より重い障害をもち、特別な手当の必要な頚損者の医療を守り続けることは、私達の大きな課題ですし、私達以外の誰にも出来ないことです。

 更に、財政再建の名のもとで福祉予算が圧迫されている中で、数多くの科学製品や福祉機器・自助具に支えられている頚損者の、自由で自在に生きるための生活環境、公的支援制度を守り、充実させなければなりません。

 頚損者に対する社会的な条件や環境は、その障害を補う・乗り越えるための展望が開かれていますが、まだのだ厳しく、自由に人生を楽しめる状況ではありません。

 頚損の方こそ当脊損協会に入会されて、脊損協会の力をフルに活用して下さい。
また、組織活動は数が力です。私達の活動を支えてください。
それはフィードバックされて、あなた自身の利益になることです。

脊髄損傷になられた、あなたへ

エール(声援)  少し先輩の我々も、あなたと同じように「あれも出来た」「これも出来た」と思い、「悲しい」「つらい」「くやしい」思いで「悩み」「苦しみ」「かわいそう」でした。

 しかも、病院の外へ出るのも大変で、脊損の為の生活環境や情報などありませんでした。
でも、自分で考えて判断することのできる脊損は、車いすを使っていても決して不能力者ではなく、自分で自分を活かした道を切り開くことができます。そのためのさまざまな福祉機器や行政施策や、私たちの支援もあります。

 今では、脊損である事や将来を悲観し、こだわる事は少なくなりました。
もともと、何でもできる、できた、スーパーマン、スーパーウーマンはいません。人は何もかもに恵まれて、人生をエンジョイし、思うように生きている訳ではありません。
誰の人生にも何かしら「妨害」や「しがらみ」があるものです。
少し落ち着いて考えられたら、多分あなたの本質や、手間ひまかかるものの、寝て起きての日常生活が大きく変わっていない事に気づかれるでしょう。

あなたは、変わらずあなたのまま

 むしろ、あなたの気持ちの持ち方で、脊損になる前よりも、あなたの活躍するチャンスが、夢の実現が、人生が、大きく広がります。
事実、脊損はかっこいい、モテる存在です。

 障害を補う車いすは、メガネや入歯と同じ事です。
こだわりを捨て、不自由不便な身体的な条件を乗り越えるための訓練と、脊損としての日常生活に適応するための生活技術と適切な情報によって生活環境を整えれば、そして、自分の目的をしっかり見つめた自助努力を行えば、以前よりも楽しくやれます。

すっこんでるなんていやじゃありませんか!

 生活や遊びに、スポーツ・文化・ボランティア活動、就学・就労、結婚、家庭づくりなど、悩みがあれば、分からないことがあれば我々に相談してください。きっと答えが見つかります。
その上で、脊損としての活動が広がるにつけて、まだまだ脊損を取り囲む社会環境が安定していないこと、様々な不足を感じられるでしょう。

 社会の各界各層ヘのネットワークと、大きな影響力を持つ脊損協会をベースに様々な活動に取り組んでみましょう!

さあ、とりあえずはじめましょう!

あなたの新しい人生のために!

趣味や社会的活動のために!

希望のために!

連絡をまっています!!

あなたのそばに仲間がいます。

それでもこだわりを捨てられない方へ

捨てられなかったら少し横におきましょう!!

 赤ちゃんは、泣くことと、笑うこと、お乳を吸うこと以外には自分から何もできません。でも、人にお世話になりながら、しくじりながらも、あれこれ覚えて一人前になります。
成長して、知識や知恵を学び、思春期の第二反抗期や自我の目覚めと確立があり、青年期には自立心が起こり、やがて様々な生活力と社会性を獲得して、人格のある成人になるのです。

それが『ハビリテーション』です。

 さて、重い障害を持つと何もできなくなるのでしょうか?
いえ、赤ちゃん返りしたようなものです。そしてもう一度あれこれ覚えなおすこと、やり直すことになります。
脊髄損傷者の場合は、しものことから、とこずれ予防などの医療的自己管理の対処法を身につけ、ベッドから離脱することに始まるトランスファー(乗り移り)や車いすの操作などになれ、社会的な支援策や行政の福祉施策の使い方などを知り、それらを活用して社会に戻っていきます。

それが『リハビリテーション』です。

 最近になって、障害を補う福祉機器や行政の福祉施策がそろい、医療的対応もリハビリの方法も的確なものになってきました。
C5(第5頚髄損傷)の方なら公的支援のヘルパー派遣や訪問看護制度などを利用した単身自立生活も出来ます。パソコンを使う仕事なら就労も可能です。
そして、それは訓練によって可能です。不自由があっても、自分の人生を実りあるものにするために、とりあえずちょっとがんばりましょう!

ちょっとしたノウハウやハウツーが必要ですが、それには私たちがいます。

 今、脊損の治療方法が研究され、新しい可能性が出てきました。しかし、その治療を受けるためには体力、特に筋力、内臓機能を落とさないこと、運動能力(運動感覚)のあることが条件になります。
また、人の自然治癒力や神経系の代理機能によって、例は少ないものの、ある程度自然に回復される場合もあります。
しかし、これらの例も普通以上の忍耐強い継続的肉体的刺激(機能訓練)を必要とします。
脊損の場合、果報は寝て待っても何も起きません。「床ずれ」ができるくらいのものです。

 人は他人のことなど気にしていません。私たちが車いすで街中にいるとき、こちらがわかっていても、友人や家族でさえ気づかないことが多々あります。そんなものです。人の目を気にしているのはあなたの自意識だけです。
他人は行動的な、がんばるあなたを賞賛することはあっても、消極的な落ち込んでいるあなたのことは気にもしていません。忘れられるだけです。

助かった命です。ラッキーです。もう一度この世で花を咲かしましょう。